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なぜ、お葬式をするのか
死んだらすべて無になる。という考え方を強固に持ち続けておられる方がかなりおられます。
では、なぜお葬式をするのでしょうか。
お坊さんの唱えるお経は何のための者でしょうか。
無に対して行う茶番と言えるのでしょうか。
もし自分の愛する人が亡くなったら、その人は無に帰した何も残ってないと思えるでしょうか。
科学者を自負する人々には、死後の世界など非科学的であり人体という物質の機能が停止すれば脳の機能も停止し、焼かれればもう何も残らない。
と考える方がおられます。
たとえ、うすうすは死後に何かありそうな感情を抱いていても自分が科学者であるという自負からあえてその感情を否定するのでしょう。
無には二つある
人がなくなって無になるという考えには二つの考え方があるようです。
一つは自分が死んだら自分は完全に無となって自分以外の世界は何事もなかったように続いていくという考え方。
もう一つはこの世は自分の意識があるから成り立っており、自分が死んでしまうと当然自分は無になり存在しなくなるが、世界も同じように無となり存在しなくなるという考え方。
後者はなんとも傲慢な考え方ですがあながち突飛な考え方でもありません。
量子論では観測して初めて物事が現実となるという意識による観測が世界に及ぼす現象が証明されています。
つまり、この世界は自分の意識が作っているということが実験的に推測されるのです。
アインシュタインはボーアの量子論に対して「月の裏側は我々が観測するまで存在しないと思うかね」と助手に語ったそうです。
宗教が真実をゆがめている
死後に意識があるというと幽霊とか天国、地獄、あの世などというと宗教じみてくると思われる方も多いことでしょう
中には「オカルト」だ、いや「スピリチュアル」だとまがまがしい分類に収めたがる方も多いことでしょう。
実は宗教が、この世界の実像をゆがめているといっても過言はないと思っています。
死や死後の世界は非科学的と言えるでしょうか。
実は人間の意識や死後の生について科学的に研究している研究者の方も大勢おられます。
医師が死後の生について書いた文献が多い
最も人の死に立ち会うことの多い職業と言えば医師と言えるでしょう。
医師の中でも特に救急救命医の先生は心停止の患者さんの蘇生を行うケースが多いといいます。
つまり、一旦死んだ人を生き返らせるケースに遭遇することが多いのです。
私が一番最初に影響を受けた本は医学博士のモーリス・ローリングズ著の「死の扉の彼方」という本です。
医学博士らしいほとんどが蘇生術の医学的テクニックや経験が書かれていますが、それに続いて蘇生後の患者に対するインタビューがかなり興味深く書かれています。
今読み返せば、キリスト教圏のありがちな先入観が含まれています。
私としてはそこが不満なところで宗教的先入観は一切挟んでほしくなかったと感じます。
最近の名著としては麻酔医の矢作直樹著で「人は死なない」という本です。
この本のいいところは、あくまでも中立的な立場で事象を分析しているところです。
そして宗教とは何か、科学とは何かと言うことを俯瞰的に突き詰めているところが私のツボにはまったところです。
死後の世界を肯定すること簡単
死後の意識の継続を否定するのは簡単です。
しかしそれを証明することはできません。
私の知る限り死後の世界の存在をうかがわせる事象は世界にあふれています。
一方死後意識が消滅することをうかがわせる事象は聞いたことがありません。
次回の投稿では私の考えを書いていこうと思います。
最新科学から証明する死とは
ここでもっとも興味深い本を1冊ご紹介します。
死は存在しない ― 最先端量子科学が示す新たな仮説
著者は田坂広志:多摩大学大学院名誉教授。田坂塾 塾長。2005年米国Japan SocietyよりUS-Japan Innovatorsに選ばれる。2008年世界経済フォーラム(ダボス会議)Global Agenda Councilメンバーに就任。2010年世界賢人会議・ブダペストクラブ日本代表に就任。2011年東日本大震災に伴い、内閣官房参与に就任。シンクタンク・ソフィアバンク・President。詩人。思想家。著書は、国内外で、100冊余。
紹介文から
最先端科学が示唆する「死後の世界」の可能性
これまでの「科学」は、「死後の世界」の存在を、否定してきた。
それゆえ、「死後の世界」を肯定する「宗教」とは、決して交わることが無かった。
しかし、近年、最先端量子科学が、一つの興味深い「仮説」を提示している。
その「新たな仮説」は、「死後の世界」が存在する可能性を、示唆している。
では、その「仮説」とは、どのようなものか、どのような科学的理論か。
もし、その「仮説」が正しければ、「死後の世界」とは、どのようなものか。
この「死後の世界」において、「我々の意識」は、どうなっていくのか。
もし、その「仮説」が正しければ、それは、この人生を生きる我々に、何を教えるのか。
もし、この「仮説」が正しければ、「科学」と「宗教」は、融合していくのか。
ワクワクする内容です。